©2018 by Omihachiman SAGICHO HOZONKAI

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​第一区

構成町

 縄手町(元、中、末) 鍵之手町 

 慈恩寺町(元、中、上)

​第二區

構成町

 鍛治屋町、新左衛門町、大工町、

 生須町、薬師町、鉄砲町、船町

参和会

構成町

 博労町(元、中、上)、

 永原町(元、中、上)、

 東畳屋町、西畳屋町、江南町、

 間之町、玉屋町

 

​仲屋町

構成町

 仲屋町(元、中、上)

 八幡城下形成時に仲買商人の町として成立し、町名は商売の仲買を意味する「すあい」に因みます。

​為心町

構成町

 為心町(元、中、上)

 町名は城下町時代に豊臣家に仕えた為心斎が居住していたことに因むと伝えられます。

 多くの近江商人を輩出しており、同町元には江戸期に松前藩の下請けとして蝦夷地開発に従事した恵比寿屋岡田弥三右衛門家の邸宅を示す石碑があります。

また同町上・中の一部はじゃつて桶屋町として独立していましたが、昭和29年の市政施行と同時に同町に併合されました。

宮内町

構成町

 宮内町

 日牟禮八幡宮の領地で、秀次時代には武家屋敷が数多くありました。これを「宮内」と呼ぶようになったのは徳川末期頃からで、それまでは決まった呼び方はなく「宮ノ内」「宮村」などと呼ばれていました。八幡城下形成時には宮ノ橋(白雲橋)・本町橋・幸円橋の三橋で八幡各町と結ばれていました。

​魚屋町

構成町

 魚屋町(元、中、上)

 多くの魚屋が軒を並べた「うわい」は魚市が変化したものと言われています。同町元にある浄土宗正福寺は多くの近江商人を檀徒とし、江戸期の朝鮮通信使の来町にあたっては随行する対馬藩主宗氏の昼食場所に充てられました。

​新町通

構成町

 新町(1~4丁目)

紫竹会

構成町

 小幡町(中、上)、正神町、

 玉木町(1~2丁目)

 

本町

構成町

 本町(1~5丁目)

 八幡城下町の中心の町という意味。

城の正面にあたり商業街の中ではほぼ中央にあたりますが、南北に伸びる本町筋よりも東西に走る街道筋の京街道の方が繁華街となりました。

​同町3丁目の近江屋池宗十郎や4丁目の扇谷中村四郎兵衛らは、全国的な商業活動で知られました。

池田町

構成町

 池田町(1~5丁目)

 安土にあった池田町を移したもので、その由来は織田信長の家臣の名前によるものと言われています。

一筋西の寺内町と合わせて遊女茶屋8軒が立ち並んでいた一方、4丁目の町年寄を務め日記などを残している薬屋五兵衛家の資料のうち『池井蛙口記(治世悪口記)』は町政の刷新を目指した自治活動の詳細な記録として広く知られています。

 

​十区會

構成町

 板屋町、北末町、北元町、西末町、

 西元町

十一区

構成町

  元玉屋町、佐久間町、

  孫平治町(1~2丁目)、日杉町

 

左義長保存会

各奉納町より選出された理事、評議員で組織される。近江八幡左義長祭の企画・

広報・警備など全般にわたって運営を担当する。